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略歴
 
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東京都渋谷区の笹塚で産声をあげる。

関東の広域暴走族「ブラックエンペラー」の幹部として、東京都内で暴れまわった札付きの不良少年。

暴走族卒業後一念発起し、偏差値38から都立の夜間高校を経て、京都外国語大学に入学する。

大学卒業後、暴走族時代になじみの深かった刑法の本をきっかけに法律の分野に目覚め司法試験を目指す。

6回目の挑戦で司法試験に合格。その前年、最後まで応援してくれていた母がガンで他界。

司法試験合格後2年間の司法修習を経て、都内の法律事務所に就職するも3年で退職。見識を広めるため、アメリカ、中南米、東南アジア諸国へ放浪の旅に出る。

7月に帰国、すぐに法律事務所を立ち上げる。事務所名は「人生の進路に迷った人たちへの道しるべに」との願いから、北斗七星の「北斗」と名付けられた。

クライアントの様々なニーズに応えるため、専門性を高める法律事務所へということで、事務所を法人化し、名称も弁護士法人アヴァンセと改める。現在は講演活動及び、マスコミ等への協力も積極的に行い各方面より注目を集める。
 
 
プロフィール
 
 
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  ≫ 氏    名


≫ 資    格

≫ 出 身 大 学



≫ 所属・活動




≫ 取 扱 分 野



≫ 主 な 著 書




≫ 趣味・特技等
金崎 浩之(かねざき ひろゆき)※金崎の「崎」の字は 正確には「ア」と書きます

弁護士(弁護士法人 アヴァンセ法律事務所・代表)

京都外国語大学(英米語学科)卒業 / チュラロンコーン大学(タイ)国際経済&金融研究科・単位取得 / 青山学院大学・大学院(国際経済学専攻)修士課程在学中

東京弁護士会 / 業務改革委員会(東京弁護士会)/ 医
療事故情報センター正会員 / 医療問題弁護団・団員 / 子どもの権利委員会( 東京弁護士会・多摩支部委員)/ NPO法人・カリヨン子どもセンター・正会員


離婚 / 相続 / 交通事故 / 医療過誤 / 借地借家不動産 / 学校事故 / 債権回収 / 民事保全・執行 / 民事介入暴力 / 中小企業法務 / 少年事件

ヤンキー、弁護士になる:文庫本(講談社)/ ヤンキー流法律指南:単行本(講談社)/ ヤンキー、弁護士になる:単行本(講談社)/ 暴走族と司法試験:単行本(早稲田経営出版)

読書(中国古典、哲学書)/ ボクシング / サーフィン(ロング)/ 海外旅行 / 英語 / タイ語 / ディペート / 犬との散歩
 
 
 
 
 
1960年代末、東京・国立在住の初代総長・Y氏やI氏を中心に、多摩地区のバイク好きが集まり「ブラックエンペラー」は創設された。'70年代からは仲間も増えていったが当時はまだ200台程度の規模で、服装も特攻服ではなく革ジャンが支流だった。暴走族がまだ「カミナリ族」と言われていた頃だ。
'75年頃には5代目総長・E氏の下、数々の抗争事件を起こし武闘派としても名を馳せ、'77年には暴走族としては初の映画化となる「ゴッド・スピード・ユー」が劇場公開され、メンバーも加速度的に一気に増えていく。
翌'78年には最盛期を迎えたが、同時に道路交通法が改正され、集団走行規制が強化された。関東での知名度が抜きん出てしまったブラックエンペラーを、警視庁は最も警戒し、メンバーを暴行容疑などで次々と摘発していった。
8代目ヘッドで、現在俳優の宇梶剛士さんやヤンキー弁護士の金崎浩之氏が活躍したのはこ
 
の頃で、国立や下北沢を中心とするブラックエンペラーのメンバーは、すでに2000人以上に膨れ上がっていた。
'80年代に入ると、暴走族同士の抗争が激化され、より凶悪化していく中で低年齢化も進み、警察の取り締まりも強化され、'85年頃には勢力を失っていった。その頃ブラックエンペラーは、世田谷を中心に活動を続けていたが'92年に解散した。最後の総長は自称25代目。その後は千葉・茂原のブラックエンペラー・赫夜姫が代表的だが、一般的に東京のブラックエンペラーの歴史は'92年までと言われている。
 
 

 
ヤンキー弁護士こと、金崎浩之氏は激動の青春時代をこう振り返ります。
「私がもし不良(暴走族)でなかったら、今の自分はまかったような気がします。『オレは他人と違う生き方をしたい、そしてもっとビックになりたい』という、一種不良の精神構造にも共通する”やまっけ”があったからこそ、現在の職業につながったのだと思います。そのやまっけや根性はもちろん、「暴走族」という厳しい縦社会の中で揉まれた経験に、裏打ちされたものであることは言うまでもありません。
少なくとも私たちの時代の不良には、毅然としたポリシーがあった。暴走族の集会での乱闘は別だが、街でのケンカはタイマン(1対1)で力と根性を競ったし、絶対に弱い一般人の人にはカラまないという不良の美徳がありました。これらはすべて暴走族の先輩たちを見て学んだものです。
Copyright(C)JSM-08   現在の不良のように、ホームレスを襲ったりオヤジ狩りをしたりというような、一人を集団で襲うような”不良としてダサイ”(みっともないの意)と周りに思われる行為は絶対にやらなかった。
不良を美化するつもりはありませんが、私たちの時代の不良のように、『自己表現』で不良をやってきた者と、そうでない者とを一緒くたに『非行』と定義されてしまうと、いつまでたっても少年問題の本質はわからないような気がします。暴走族少年と、病的な凶悪犯罪少年とはまったくの別者です。」
 
 
 
金崎浩之氏は、ワルを卒業して身の振り方に悩む若者たちに、力強くエールを送ります。
「大部分の昔の不良もそうだと思いますが、私が不良になった原因は家庭でも学校でもない。先にも話したように、勉強嫌いだった私がたまたま自分の存在意義を示す場所が”不良”だったからです。
しかし、自分のステータスが築けた不良の世界もある一定の年齢に達すると、暴走族であり続けることやワルでいることが、逆にカッコ悪いことになる、だから自然と足を洗っていくことになります。そうするとここで問題になってくるのがその後の身の振り方です。
私は今までの経験で確信しています。脳みそって筋肉と同じで、鍛えれば良くなり、強くなるんです。元々の良さ悪さは確かにありますが、今より磨くことはできます。そして実は日本の『学歴社会』って、努力がそのまま報われる社会でもあるんです。偏差値50には50の、60には60の大学があり、たとえ一流大学を出ていなくても、それなりの良い仕事はある。
芸能界は競争が厳しすぎるし、スポーツ選手や芸術家は一流にならなければ食ってはいけない。その点、勉強なら誰がやってもそこそこいきます。もし特別な才能がないのなら勉強です。
不良はみんな勘違いしています。ワルや不良は『勉強ができない』のではなく、『勉強をやっていなかった』又は、『勉強が嫌いだった』だけなんです。なので私の辞書には『バカな人間』という言葉はありません。司法試験の勉強をしているとき、私より良い成績をとっている受験生はゴマンといました。もちろん一流大学出です。
しかし、あるとき気がつくと、免疫力に弱い一流大学出の優等生は、どんどん戦線離脱していきました。
『1の成績を2にあげた達成感と5を4に落とした挫折感』人を強くするのは前者です。ワルは元々勉強をやっていないので前者にあたります。しかしこの、1を2にあげた小さな達成感が、ワルにとっては大きな自信となり、次のステップへの原動力ともなるんです。失敗と挫折を繰り返してきたワルにこそビックチャンスがある。私のこの信念は一生揺らぐことはありません。」
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